「ハル。」

「はい。」

まだ鎖骨の辺りに腕を乗せられたまま、森の方角を向いたまま頭の上からぽつり、と雨粒のように名前が落ちてきた。

「あの国は、まあ、言わなくても分かってるんだろうけど、僕がいるから、君を身売りしないといけなかったんだよ。」

「・・・ええ・・・」

身売り、という言葉に眉間に皺をぎゅっ、と寄せた。そんなんじゃないです。仕方のない事だったんです。と、ハルは言いたい気持ちを抑えた。

「身売りするんだったら、僕の所に来ればいいかなって。」

「・・・はあ・・・」

まだ要領得ないと言った風なハルの返事に、雲雀がハルの首筋に唇を押し当てて歯をあてた。その感触にぞっ、と身体の中に電流が迸った。

「僕ね、よく言われるんだけど、グルメなんだって。舌が肥えてるらしい」

「そ、そうなんですか・・・」

「普通は味覚って、子供の時から作られるものだから、僕がまずいと感じる、おいしいと感じるモノは確かに、昔食べたモノなんだよ。それなのにぼくはいまだにおいしいと思えるものに出会えない。」

違うパズルを力任せに、無理矢理はめ込んだような説明の仕方だとハルは思う。だけど、言いたいことはなんとなく分かってきた。

「グルメだって言われるのは心外なんだ。僕はおいしいものがただ欲しいだけなのに。」

「おいしいものって、血ですよね・・・」

「うん。」

当たり前のような返答に言葉が詰まった。そんな様子に気がついているのか居ないのか、雲雀は舌先で肌を一舐めした。

「ひぅ!」

「とりあえず、吸い殺さないからちょっと飲ませてくれる?」

「え・・・」

「駄目?吟味したいんだけど。」

「え、え・・・?」

肌に突き刺さらんとばかりに押し付けられる歯が、ハルにはナイフのようにしか感じなかった。食欲と殺意が同じだなんて。

食べる側と食べられる側の違いにうろたえるハルの反応を見ながら、雲雀はそっと眼を細めた。

「信用できない?」

「いえ・・・そ、そうじゃなくて・・・」

「いやなの?」

「いやというか・・・そういう事じゃなくて・・・なんだか・・・」

もし、血を吸われた後に傷口がふさがらなくて出血死なんて事もありうるわけで。

動物と同じく、いつ本能をむき出しにして裏切るかも分からない。

ああ、それは、信用していないと同じです・・・。

「・・・いえ、いいです。分かりました。OKです。ウェルカムです!」

「・・・いや、まあ、・・・じゃあ、するよ?」

力抜いてね。と耳元で言われ、深呼吸をして力を抜いていると、ず、と、痛みと違和感が脳に伝わり、息を詰まらせた。

だが、痛みは一瞬で、すぐに違和感と違う何かを感じる。血を吸われる音と感覚が、ハルの脳に痺れを起こす。

「、あ」

血を味わった雲雀がハルを抱きしめる腕に力を込めた事にすら気がつかず、ハルは初めて感じる吸血鬼に血を吸われるという行為を、ただただ受け入れ、終わるのを待った。

ハルは吸われている間にぼんやりと、先ほど居た部屋のベッドの上ですればよかったのにと思った。こんなことは立ってやらされる事じゃないとも思った。そんな気遣いが無い雲雀を攻める気は毛頭ないのだが、それは雲雀が吸う相手に何も気を使っていなかったのだろう。

「終わったよ。大丈夫?」

「・・・はい・・・」

少しくらくらするのは大げさなのかどうなのか、ハルにはよくわからなかった。雲雀から心配の声をかけられたが、それも脳が理解することは無く、ただの言葉として受け流された。

雲雀が支えてくれている力に半分ほど頼って立っている。傷口の痛み、熱さを全く感じない。身体全体の血が沸騰しているように熱く感じる。

「・・・なんか、熱が出たみたいです・・・」

「・・・熱は無いみたいだけど」

「え、嘘です、だって・・・」

「多分錯覚でしょ。」

一蹴されたハルが、困惑に顔色を染めているにも関わらず、雲雀はすり、とハルの頭に鼻先をすりつけた。

更に困惑するハルに、よく骸などから指摘される雲雀の短所の一つである、自分の心の中で整理をつけて結論を出してしまう癖。

黙ったまま雲雀がハルを抱きしめ続けていると、また黄色い小鳥が森の鬱蒼とした緑の空から降りてきて、雲雀の肩へと止まった。まるで木々のようにしゃべらず、動こうとしない二人の異質さに気がついたのか、小鳥は何も言わずにただ止まり木に止まるように、雲雀の肩に足をつけたまま可愛い声で鳴くことは無かった。

「・・・あの・・・」

暫くの沈黙の時間で、ハルの意識は正常になった。正座をした後の足の痺れがとれたような感覚で、五体全てがいつも通りのハルの身体だと認識できた。

痛みも無く、熱も無い傷口がどうなっているのか気になる。そして何よりずっと抱きつかれたまま外に立ち続けるのもいい加減疲れてきた。

「何?」

「・・・えっと、ど、・・・どう、でしたか・・・?」

「ああ、うん。」

まだ余韻を楽しんでいるように眼を閉じていた雲雀の腕が、ハルの腰にも巻きつけられた。

「すっごくおいしかった。」

「お世辞、ですか・・・?」

「君にお世辞を言ってどうするの。」

「・・・・・」

「おいしかった。」

きっぱりと言い放つその言葉に、そっと顔を動かして雲雀の眼を見る。ハルの視線と絡まると、決して逃がさないと言うような鋭い視線を送りつけられた。

もしかして、血を吸うときもこんな瞳をして、見ていたのでしょうか。

「今までで一番。」

何度も言う。おいしかった。今までで一番。と、繰り返し言うその何の変化もない言葉で、ハルに理解しろと空気がぴりつく。

もちろん、ハルはちゃんと理解していた。言葉の後に、「だから」と、いつでも続いてもおかしくない抑揚だった。

ハルは頷くことで、全てを肯定し受け入れる事になる。少しだけ、考える。頭の隅っこに引っかかるとっかかりを。

雲雀は吸血鬼で、ハルの血を好んだ。ハルが雲雀の貢物となれば、国の被害は消える。

「・・・皆、平和には、ならないと思います」

「何が?」

「ハルが、雲雀と一緒に居ても、きっと雲雀に殺された人たちの遺族の悲しみは消えないと、思うのです。ハルが雲雀の家畜となっても、雲雀はきっと、恨まれ続けると、思うんです。」

「それが?」

「怒りは殺意に変わって、雲雀を殺そうとする人が、きっと現れてしまいます。」

「嫌なの?」

「え?」

「別に僕は家畜として居て欲しいわけじゃないんだけど。まあ、原理としては家畜なんだろうけど。」

「うーん・・・」

いいも悪いも、政略結婚と直面した時と全く同じ感覚なのだ。家畜も嫁ぐ事も何ら変化は無い。相手だって隣国の王子から雲雀に変わっただけ。

ただ隣国の王子と出会って一年にも満たない。雲雀とは幼い頃に出会って今まで会っていない。

「・・・じゃあ、一週間に一度程、お城に返してもらえませんか?」

「君、ご都合主義にも程があるよ。」

「ですね・・・」

「この家が嫌なの?引っ越そうか。前住んでた所はそれなりに大きかったから。」

「そ、そうじゃなくて・・・」

「とりあえずはい、って言いなよ。」

ぐい、と顎を掴まれて固定され、鼻先がぶつかった。トーンが低くなり、不機嫌そうに眉根を寄せてそう言った。

少しむき出しにされた八重歯が血塗られておらず、真っ白で刀の刃先のようだった。

「でも、でも・・・」

「・・・ああ、そうか。」

一人納得した雲雀がハルを抱きしめるのをやめた。身体を離して向き合う形となったが、両手首を掴まれたまま。

「マリッジブルーと同じアレか。」

「アレってなんですか。」

「大丈夫。人間って、結構順能力あるから。」

「・・・雲雀・・・」

ただハルは雲雀の名を呼んだ。否定でも肯定でも、喜びでも悲しみでも無く、ただ呼んだ。

困ったように眉を八の字にして雲雀を見上げる。その顔を見て、雲雀は足元に縋りついた幼いハルを思い出した。首筋につけた吸血痕を見て手首を掴む力を強くした。

「そうだね、なら、一週間此処に居て、嫌だったら帰ればいい。」

突き放す様な声音で提案をした。ハルは迷わず頷いた。その反応に、雲雀は更に不機嫌そうになる。

「君が帰れば僕はまた、君の国の人間を殺すよ。」

それでいい?

吸い殺すでは無く、殺すと言った雲雀に何か言いかけたが、口を開けて、ゆっくりと閉じられた。ハルは多分、一緒に居るんだろうなとぼんやりと思いながら、こくこくと頷き続けた。

 

 

 

いい加減にしないと終わらないので此処で終了とさせていただきます!

 

本当は王女と王様がハルを取り返すためにうんたらかんたら・・・とか構想はあるのですが・・・本当、そろそろ終わらないとね・・・

獄寺の事とかも色々と昼ドラみたいな展開にしようかと思ったのですが・・・

 

未練は断ち切れ私!それでは、此処までお読みいただきありがとうございました!

そしてリクエストありがとうございましたー!