閉鎖的圧迫感。その中でぎゅうぎゅうと肉体を寄せ合い、喉が鳴る。

「う、あ」

ぽろぽろと落ちる涙が頬を伝い落ちる。床にぱたぱたと落ちる。

幼いころに、よく一緒に遊んでくれたお兄ちゃん。たったそれだけならこんなにも心締めつけられることは無いだろう。

薄らと眼を開けると、涙で、暗闇でぼやけてよく見えない。まだ日は昇っているはず。もうすぐゆっくりと世界の果てへ落下するだろうが、まだ、光はある。

「ひば、・・・」

光が嫌いならば仕方が無い、でも、でももっとよく見たい。

「声出さないで。他の人間に気付かれるから。」

「でも、でもっ・・・!」

ゆっくりと優しげな手つきで頭を撫でる。今よりも幼い時には、こんな事してくれなかったのに。雲雀も大人になったと言う事なのか、今のハルがあまりにもみっともなく泣いているからか。

ぎゅうっ、と掴む服に皺が、と気を使えるほどハルには余裕が無い。喉の奥に嗚咽と声を押し殺し、暖かさに頬を寄せて感動に身を浸している事に精いっぱいだった。

大きい黒マントの内側に隠れるようにしているからか、光が届かない。それがどうしてこんなに心安らげてしまうのか。

「会いたかったですよ・・・」

「だろうね。」

「うぅっ・・・」

雲雀のその言葉にまた涙があふれ出る。引き出しから水がいきなり吹きだすように、心はぐちゃぐちゃにかき乱され、脳はフル活動する。

最初頬を寄せた時には服は冷たかった。冬の名残がこびりついていたけれど、今ではとても温かい。それがハルの温度か雲雀の温度かは分からない。

撫でてくれる手も冷たかったけれど、今は暖かい。

肩口近くにある口から吐き出される声と息はあまりにも熱い。

「ハル、ハルね・・・」

会いたいと思った。話したいと思った。けれどそれが出来なかったから、

「結婚、しちゃうんですよ・・・!」

「知ってる。」

溜めこんだ気持ちを、どうにか言葉で縁取って。

冷静で鋭い返事を聞いて、服を掴む力が強まる。

「ハル、まだ、結婚したくない・・・!」

嗚咽が止まらない、涙が止まらない、言葉が止まらない。

眼を閉じると瞼の裏側に浮かび上がるのは母と父の姿。そしてこの国に住んでいる人々の笑顔、国の情景。町の声、連なる屋根。

「やだ・・・」

笑顔で母に大丈夫だと言ったけれど、民衆の期待に笑顔で答えたけれど、まだ年端もいかないハルには重たい言葉だった。

気がつかない振りをして押し殺してきたけれど、全てをさらけ出させようとする鋭い瞳の前では心の蓋は簡単に風化してしまった。

もう、簡単に親と話が出来ないなんて。

「どうしてほしい?」

「・・・どうして・・・?」

「そう、君はどうしてほしいの。」

それは抱きこむように見せかけて突き放す様な冷たさを孕んでいた。顔を上げてみると、夜の闇よりも深く、思考は全く読めない。

まるで殺意を込めているようなその視線に背筋が凍った。

「僕に助けてほしい?」

誘惑は何時でも甘美なものだ。

ハルは眼を僅かに見開いて雲雀の瞳を凝視する。言ってほしいと思った。だけど、いざ言われてみると、未来予想図は平和とはかけ離れたモノになるのではないかと想像する。

人の命を屠れる生き物が、眼の前でハルに提案を持ちかけている。

「欲しい?」

小首を傾げてもう一度尋ねられた。あ、う、とハルが言葉を濁していると、雲雀の口元に僅かな微笑が出来上がって行った。

「助けてほしいなら、それなりの覚悟と報酬が無いとだけどね。」

ギブアンドテイク。基本だよね。意地悪にそう言葉を続けてハルの瞳の奥を暴くように顔を近づけた。

よく、パーティー会場で見かける。柔和な笑顔の瞳の奥に、何重にも鍵をかけて蓋をしている醜い色が、開けっぴろげに、堂々とそこに揺れ動いていた。

たすけてほしいと、言ってほしい、だけなんじゃ、

「・・・ほしい、です。」

そう思うと勝手に口からは拙い言葉が紡ぎだされていて、

「・・・そう。」

きっと雲雀本人は気付いていないだろうが、目元が優しく綻んでいた。

 

 

 

隣国から使いの人間がやってきた。

城内に入ることは無く、門兵に手紙を渡して立ち去った。直接城の中の人間に渡さず、門兵などに渡しても大丈夫だと思われている。舐められているのか、信用されているのか分からないが、その手紙は何の障害も無く城の中へ封が開けられる事無く入ったのだからいいのだが。

またもう一度会いたいと書かれていた。それは姫の婚約者では無く、王子の姉からの名義であった。

当人は会いたくないのでは、と王女は思う。周りの人間が勝手にひっかきまわして、余計に彼の心の溝を深めてしまっているのではないか。

会う度に消えることが無い眉間の皺を思い出す。そして優しげで落ち着いた姉の姿も思いだす。

彼女は、そんな事をするような人では無いと思う。

無知極まりなくおせっかいを焼くというよりは、優しく不器用な弟の動向を見守るような人だった。

まあそれに、会わないより会った方が溝が深まるかもしれないが、距離が縮まる可能性もある。

近くにいる使用人にこの事を伝えてくるようにと王女が言う。長い廊下に差し込む日差しは綺麗な橙色だった。日が沈むのが暑い空気を孕んでいた季節よりも遥かに早くなっていた。太陽も寒さには勝てないのだろうか。

背筋を伸ばしてゆっくりとこの城の姫の部屋へと足を進める。足に繋がっている黒々とした影は季節を表すように細長く寒々としていた。

大きな扉の前に立ち、ノックを三度する。返事は無い。

中が空洞の土器を叩いているかのように、不在が感覚的に感じ取れた。

失礼します。と使用人は結果は分かっていても断りを入れて扉を開けた。やはり中には誰もいない。

冬の冷たい空気が窓から入り込む。カーテンがオーロラのように揺れ動き、使用人は数十秒ほど中を見渡して扉を閉めた。

 

バタン、

 

彼は契約が終わった事に静かに息を吐いた。無人の部屋の中で、開いた窓に足を掛ける。

地平線に沈む夕日が半分程顔をひょっこりと覗かせている。本来ならば、闇に紛れて出て行きたいところだが、彼も彼で帰巣本能が備わっている。

太陽が沈み、ぼんやりとした月明かりが城を照らす頃、城の人間が一国の姫の不在に気がつき騒然となるまでもうしばらく。

 

 

 

さっさっさーと。