会って、話がしたいなと思った。

会って、打ち明けたいと、思った。

雲が流れる方向は北である。そちらにはハルの初恋の相手である王子と、ハルが初めて親友と呼べる姫が夫婦となって住んでいる。

風が冬の到来を鐘の音の甲高い音のように、ひりひりと伝える。耳の下が僅かに痛み、二人の幸せを願う様に胸の前で手を握った。

初恋をまだ引きずっている訳ではない。ただ憧れに近いもののような気がする。

親友が好きな人を奪った!と思う程ではないし、いい人だから、きっと幸せにしてくれると思っている。

余裕があるのか虚勢を張っているだけなのか、ハルは冬の寒空の下、テラスの手すりに両手をついた。氷に触れたように冷たく、跳ね返すように静電気がバチッ、と手を攻撃した。はひゃっ、と声を出し手を握って二、三歩後ろへ下がった。

「姫。風邪を引きますよ。」

「あ、ありがとうございます。」

今のを見られていたのかと思うと恥ずかしく、顔をうつむけた。

顔を上げて見て見ると、父の、王の所在を聞いた使用人だった。数え切れないほどいる使用人の顔はそれなりに覚えている。見覚えのない顔だから、きっと最近入ってきた人なのだろうとハルは思った。

「先ほどはどうもです。」

「あ、覚えていて下さったのですか。」

「ええ、もちろんです。」

「・・・王とは・・・?」

「会えませんでした。」

隣国へ行っているというのに会えるはずもない。

「そうですか・・・。」

結婚を控えた女が、しかも政略結婚でブルーになっていると言うのに、立場上で気軽に親と会えないなんて。と、同情しているのだろうか。

新入りらしき使用人の瞳が僅かに細められたのをハルは見た。それに怒りは無いけれど喜びも無い。

凍てつく風がハルの頬を撫でる。その冷たさは無性に月の夜に訪れる黒い影を思い出させる。

冷たかったわけでは無かった。

それは態度でもあるし温度でもあった。ちゃんと生きていて、ちゃんと心を通わせていた、はず。

記憶が薄れて行く事にこれほど焦燥感に駆られるものなのか。

「明日帰ってくるという事でしたので、大丈夫です。」

緩やかに風は流れて行き身体を冷やす。今だ見えぬ春の兆しが恋しく思いながらも、時の流れが鈍行しているのを感じる。

乾燥した空気が肺をぴりぴりと緊張させる中で、鼻腔に漂う書庫の匂いを思い出す。白馬に乗った王子様というのは絵本の中の出来事で、現実には起きる事は無いであろう妄想、空想の色彩。

眠り続ける姫の前に颯爽と現れる。寝ていないからいけないのでしょうか。王子というような人ではないけれど、今一度、一目会いたい。

そっともう一度、胸の前で指を絡ませて眼を閉じる。

子供の頃遊んでくれてありがとう。なんて事を言いたい訳じゃない。いや、多分それは言うだろうが、言いたいことはもっと違うものだ。

その言葉が今は分からない。でも、きっと雲雀の前に立てば言葉は吐瀉物のように自分の意思とは関係なく口から吐き出て行くだろう。だがそれは思考をおぼろげなものとする事を正当化する言い訳にしか過ぎないのだが。

「姫。」

使用人の声に眼を開けて振りかえる。心配そうに眉を落として、冷えますから・・・と言われ、そのまま城の中へと入った。僅かに温度が高く、人の気配が薄いような大きな建物の中に。

僅かに哀愁が漂っているように見えるのは気のせいなのだろうか。もうすぐ消え失せる自分の存在の希薄さが、眼球が、脳がそう錯覚させているのだろうか。

一人で部屋に戻れると意思表示をして使用人の背を暫く見送り背を向けた。何とも忍びない感情に縛り付けられた。

決していいものではないけれど、悪いものでもないと言うのに。

少し痛めた喉に手をやって、僅かにちくちくと痛みがする唇にも指先を這わせた。指先にかさついた唇の感触がした。

ふわふわと揺れるスカートは長く、床に触れるか触れないかのギリギリの長さ。これではしゃがめないし走りまわれないと、当たり前の事を思って頬を緩めた。自嘲気味な色合いをしていた。

小さい頃も同じ長さだった。サイズは違えど、スカートと床の位置は大きくなっても微動だにはしていないだろう。ハルが裾と床の関係を気にするくらい大人になったと言うだけの事。

大人になった。

彼はかくれんぼをしていた。

僅かに膨らんだ胸元に手を当てて僅かに俯いた。雲雀はもしかして子供の前にしか現れないのではないか。もしかして、彼はピーターパンに等しい存在なのかもしれない。それか子供にやさしい妖精なのかも。次出会った時、成長したハルを敵としてみなしてしまうかも。

荒唐無稽な想像ばかりが膨らんだ。

雲雀が吸血鬼であると言う事はハルはちゃんと理解していた。吸血鬼と言う存在がどういうものなのかも聞いている。人を殺す。

身の毛もよだつ、言葉だった。

鳥肌が肌の上に泡立つ。人が死ぬと言う事は簡単な事じゃない。平和に身を浸しているハルでもそれは理解できる。想像だけで恐ろしいと戦慄する程には。

それでも、

おぼろげで靄がかっていて、暗闇の中に紛れてしまいそうな真っ暗な影と対面した幼い記憶の中では、そうじゃ、なかった。

直接その現場を見ていないから、人が死ぬと言う現場を見ていないから言えるのかもしれない。

亡くした家族の絶望の空気を感じていないからそう思うのかもしれない。

雲雀が居たから結婚しなければいけない。

漠然と、結婚から逃げる言い訳が開花した。その茎を折る。

 

ああ、でもでも、それなら、責任とってほしいです。

 

一発殴るか、叩くか、泣きついて鼻水でもつけるとか。他には、

かくれんぼに付き合ってもらう、とか。

 

いつの間にか歩みが止まっていた。重苦しい身体の芯はベッドに沈んで浮かぶ事無く沈んでしまいそうだ。

もう一度、乾燥した、何者も排除した冬の空気に当たってしまおう。

くるりと踵を返すと、少し離れた所で先ほどの使用人がこちらを見ていた。

思わず驚いたのは仕方が無い。けれど二度目も息を飲まなければいけなくなったのはその使用人が纏う空気のせいだった。

こちらをじっとりと見る視線の粘着さに肌が粟立つ。鋭い剣先を突きつけられているような感覚。先ほど通った道だというのに、使用人の背後はまるでい世界に繋がっているかのように、そこから放たれる空気は冬の空気とは、城の空気とはまったく異なっていた。

刃を眉間に突きつけられているような威圧感。

「・・・部屋にお戻りください。」

身体が冷えますから。と、柔和な笑みがドス黒く鼓膜を揺れ動かした。

何か声を発したら、眼に見えない何かで身体を引き裂かれてしまう。

直感的な恐怖に言われた通り震える足を動かして自室へ向かう。足をさかさかと機械的に動かしながら冷たい空気を裂くように早足で歩く。振りかえらなくても分かる。後ろから流れる異様な空気は追いかけてくる。

人間の放つ空気では決してない。

ただ何の確証も無く、先ほど笑っていた笑みが恐ろしい仮面だったのだと思った。

その異様なおどろおどろしさは、幼いころ感じた暗く、何か気配を孕んでいるような夜の行き止まりを思い出させる。人とは違う異質の存在が、確かに存在して背を押すようについてくる。

吸血鬼も人とは違う生き物だが、ハルにこんな恐ろしい鏃を向けたりはしなかった。

どうして、こんな時に限って部屋までの道のりに人がいなかったのだろうか。足首が時折折れそうになりながらも、自室へとちゃんと戻った。

今日に限って、どうしてかカーテンが全て閉め切ってある。それはそれでいいのだが、部屋の中があまりにも暗く、ハルの背を押す空気が蔓延しているように感じた。

ドアを締めて鍵をかける。ちゃんと閉まったのかドアノブをおそるおそる引いて確認して、ドアにもたれかかるようにずるずると腰を下ろした。震える膝に鼻先をくっつけて、先ほどの異様な空気がそこにあるのかどうかも分からなくなった事に気がついた。あれほど如実に肌で感じていたと言うのに、部屋に入るとそれきり無くなってしまっている。

もしかしたらハルの感覚が鈍り、その鋭さを感じていないだけなのかもしれない。ドアの向こうにいるかもしれない。

異質な存在の証明は今だハルにしかされていない。それを、他人に示す意味がハルには分からない。

相手は何かをしてきたわけじゃない。だからこその恐怖、これからの道の合間に何かをしてくるかもしれない。

とにかく、怖い。

「・・・誰か・・・」

先ほどの男ではない誰か。メイドを呼びたい。男じゃなくて女がいい。だけど呼ぶためにはドアを開けなくてはならない。それなら此処で一人じっと耐えるしかない。

ぎゅっと眼を閉じる。無風の部屋、閉め切った窓とカーテンは音の流れも遮断していた。

耳鳴りのような無音の音波に高鳴る心臓が落ち着いてきた頃、そっと顔を上げた。

「ねえ。」

単調な声がすぐそばで聞こえてきた。無音の中にひっそりと潜んでいた黒は、最初から存在していたかのように当たり前に声を放った。

「そろそろいいかな。」

 

 

 

描写能力の無さがもう・・・!!

ぐああああ