「アンハッピーは不幸、なのですか?」

「うん。でもそれなら普通に不幸って言えばいいんじゃない?」

「おぉ、確かにそうです。それじゃあハルはとっても不幸だと言われました。」

「誰に?」

「庭にいるおじいちゃんに。」

「どうして?」

「結婚することがもう決まってるからって・・・あ、これ、お母様とお父様には内緒ですよ。って、おじいちゃん言ってました。」

絹のような髪の毛がさらさらと月光に晒されて光っていた。ふうん。と興味のないそぶりをして小さな頭を見下ろした。

そこに手を乗せると、必ず驚いたように眼を丸くしてすぐににっこりと笑う。

長い夜に子供がずっと起きている。朝起きる時とても辛いのだと、なんの奇の衒いも無く本人に言うのだから、その無邪気さは武器になる。

いずれはそんな無遠慮な事も言えないで、本音を心の奥に押し込んで嘘の笑みと言葉を使って世を生きていくのだろう。

「ハル、かわいそうですか?」

「・・・そうかもね。」

膝に頬をすりよせて甘えてくる一国の姫。

嫁ぐと貢物。どちらの言葉が真実に近いのだろうか。

眼を伏せながらハルを見下ろす雲雀は哀愁のような感情を持て余していた。

 

 

 

成長したハルの姿を見たのは夜だった。そもそも夜しか思う様に活動できないのだから当たり前なのだけれど、その日はどうしてか涙の痕が頬に残っていて、窓を開けても気がつかない程熟睡していた。いくら平和な国だからと言って、もし同じように暗殺を企てる輩が入って来たりしたらどうするつもりなのだろうか。

あどけなさを残した輪郭を見るとほっと溜息を吐いた。

ここ数年、雲雀の存在を知った城の人間が国の至る所に兵士を散らばらせバリケードをしていた。

しかもその兵士がハルが結婚する相手の国の人間だ。ハルがいる小さな国は恐ろしい程戦力が無い。だが金はある。隣の国は兵力、戦力はあるが金が無い。

元々は戦力など無意味に等しい程裕福で平和な国だったのだ。それが吸血鬼が姫に眼をつけているなんて事になった故に、今その姫が涙を流すような結果を招いている。

そこでそれぞれの国の子供を結ばせ、未来永劫、二つの国は幸せになりましたとさ。と完結させたいのだろう。

静かに部屋の中に忍び込み、ハルに顔を近づける。

じぃ、と見るとやはり邪魔な涙の痕を指先で擦って落とした。僅かに眉をしかめたがすぐに気持ちよさそうな寝顔に戻った。

鱗粉を振りまく蛾のような毒々しさの無い寝顔。身長が今よりも一回りほど小さかった頃と何にも変化が見られない。

薄らと開いた唇からちらちらと光る赤い舌が少し動いた。

「・・・ひばり。」

虫の音よりも小さくか細い声だったが雲雀はそっと瞼に唇を落として返事をした。

ふわり、と風が部屋の中に吹きこむ。カーテンが孕んだように膨らみ夜闇が鮮明に表れた。

暗闇の中にある庭は整備されていて、眼の保養だ。ハルに残酷な大人の意見を吹聴したという庭師はまだ健在なのだろうか。もう死んでしまったのか。

ふにゃり、と笑う少女の前ではそんな素朴な疑問すら霧散する。

「ハル、」

たった数年。それだけで君は理不尽を理解し、受け入れるんだね。

かわいそうに、貢物になるくらいなら僕が吸い殺してあげようか。

伸びた歯を首筋に押し当てて楽しそうにくつくつと笑った。

 

 

 

元々はこの国の戦力不足にかこつけて餌を求めてやってきたのがきっかけだった。あれは確か、10年ほど前だった気がする。

平和ボケした町の人間を夜な夜な物色しては吸い殺していると、僕の存在に気がついたようで、武器を持った住人が夜、僕を襲ってきた。

弱い連中がいくら群れても無駄だと言いたかったのだが、あちらは話しなんて聞く耳持たないようでいきなり僕に襲いかかってきた。

完全に僕が犯人だと思っているようなあの血走った眼。此処で殺してしまうのも悪くは無いけど、どうせなら餌として吸い殺した方がよっぽど生産性がある。

兵士の教育もろくにできていないんだ。他の国へ助けを呼ぶまではらしくないけれど食事場所として利用したい。

人の眼をかいくぐるのは簡単だった。夜の闇の中、人のスピードではありえない早さで動いて眼をくらます。走っていると城内まで来てしまったらしく、窓が開いていた。冬の夜はさすがに寒いので部屋に忍び込んだ。

幸い部屋の中には誰もおらず、電気さえついていなかった。部屋の様子を見て見るとどうやら一人部屋で女の子が使っているようなものだったから、部屋に来てもどうにでもなると踏んでいた。

それにしても、武器にニンニクを絡ませたりつけたりして匂いがとんでもなかった。マントで鼻を押さえながら鼻に残った匂いにげんなりとしていると、ぎぃ、と扉が開いた。

想像していたよりもはるかに小さく幼い女の子がこちらを見てぱちぱちと瞬きをしていた。

「・・・・?」

無言で小さく小首を傾げている。僅かに開いた口は間抜けっぽかったが、静かに部屋の中に入り大きな扉を閉めた様子は少し意外だった。侵入者に驚いたが狼狽することは無く、ただ冷静にこちらを見ていた。

「あなた、だれですか?」

「うん。」

「? うん?うん君?」

「・・・ちょっとかくれんぼしてるだけだよ。」

頭の回転が悪い子だという印象しか無かった。

「いいなあ、こんな夜にするなんて、かっこいいです。」

かっこいいの基準が何なのか分からないけど、窓際に隠れるようにしてずっと外を窺っている様子を見れば本当にそうなのかもしれないと思ったのだろうか。

静かに僕の足元までやってきた少女がズボンのすそをぎゅっと握ってきた。

「ハルもしたいです。仲間にいれてください。」

「駄目だよ。」

「どうしてですか?」

「子供はもう寝る時間でしょ。早く寝なくちゃ。」

優しく諭したというのに、少女は眉根を寄せてズボンにぎゅうっ、と抱きついてきた。少し足を動かしてみたら頑として動こうとしない。子供の癖に力が強い。

「何してるの。」

「・・・ハルも、かくれんぼとかしたいです。」

拗ねるような口調に、ああ、何だ。この子お姫様だったのかと思った。簡単に受け入れられて簡単に理解して、簡単に振りほどくのをやめた。

見つかった時に人質にでもとればいいかな。と軽く考えていたんだけど、気がつけば涎を垂らしながら抱きついたまま眠られた時は焦った。引きはがそうとしてもとんでもない力で抱きついていて、あの時からハルは突拍子も無く僕の邪魔をする存在だった。

次の日も性懲りも無く町へ向かって餌さがしをしていると見つかって、同じく開いていた部屋があって、まあハルの部屋だと分かっていたんだけど。

だけど先日と違うのは部屋の主がベッドに腰掛けていて眩い笑顔で出迎えられた事だ。

「かくれんぼ、ハルもしたいです!」

「・・・大声出さないでよ。」

「はひ・・・そ、そうですね。かくれんぼでした・・・」

慌てて口に手をあてて黙る少女を横目に、誰も入ってこない扉を凝視した。どうやら気付かれてはいないようだ。

「ねえ、君ってここの姫?」

「はひっ」

何気なく聞けば、びくっ、と反応してぎゅうっ、と眉根を寄せ合わせた。

何がしたいのか見下ろして観察していると、大きな瞳がだんだんと潤んで来ていた。

「・・・・・。」

「・・・う・・・」

不明瞭な泣き顔と、声を押し殺す事になれた泣き方のお陰で静寂は保たれた。僕を追いかけてくる追手は城内には入ってこない。城の手前の生い茂った森の入口で撹乱した為だろう。

そんな木々がざわめく音がここまで届く。

煩く泣くのなら、煩いと一蹴できたのに、小さな少女は声を押し殺す泣き方をしているのでその言葉をかけられなかった。

引き攣る嗚咽は聞こえなくなって、鼻をすする音が聞こえた。俯いて目元を擦っている少女の前にしゃがみ込み様子を窺った。

「なんで泣いてるの。」

なんてことは無い質問をしただけなのに。

有無を言わせぬような声音で問いかければそっと顔を上げた。あどけない大きな瞳が月光の光できらきらと光っていた。瞳に映った僕の口元には鋭い歯が見えた。

「・・・・」

ふるふると首を横に振って僕を見る。不明瞭な首振りに思わず睨みつけてしまった。後から聞いてみると、自分が姫だと知ったら遊んでくれないと思ったからだと言っていた。

その日からなんとなく餌を求めて追いかけられて城に逃げてハルの部屋に籠って、ハルが寝るまで傍に居た。

それを強いられたわけでもないのに、なんとなくの気まぐれだった。そんな気まぐれが数年ほど続いた。その間に一ヶ月間を開けたり城に行かなかったりと色々としていたのだが、さすがに無理が出てきたらしい。僕が城内に逃げ込んだと知って対策を立てたのが隣国の兵士で国を、城の周りを固めるという作戦だった。

武装した人間があちらこちらにいる町にいけるはずも無く、僕はその町へ足を踏み入れることは無くなった。

殊更大きな事件では無かった。乳臭い娘に会えないからと言って心を痛めることも無く、未練も哀愁も無かった。気まぐれに猫の頭を撫でていたと同じだった。森の中にひっそりとした洋館に住んでいる僕は餌となる人間は他の国から狩ろうと移動範囲を少し長くしていた。

そんな時、風のように舞い込んできた噂を聞いた事によって、今の邂逅を得た。

 

アンハッピーは不幸、なのですか?

 

何でもない会話の中、何でもない、忘れてしまえる程の些細な台詞がフラッシュバックした。平和そうな寝顔を見ながら鼓膜を震わせる声音。幼さは声までに残っているのだろうか。

なんてこと無いように問いかけてきた無知な幼さはもう、多分無いだろう。指先で触れても隠れない涙の痕が痛々しい。

僕はハルがアンハッピーなのかこうして久方ぶりにあの時とは違う、閉まった窓を開けて見に来たんだ。

「かわいそうだよ。」

だから何だというだけ。僕にはどうする事も出来ない、しないだけ。

けれど同情しに来ただけというのはあまりにも酷い。同情されることが一番嫌う僕がそれをしていいはずが無い。プライドが絶対に許さない。

どうしてほしい?相手を殺してあげようか?それともこの国から連れ出してあげようか。

寝息ばかりで、欲望を言わないもの静かな唇にそっと歯を立ててみる。このまま力を入れてしまえば肉に歯が食い込み、血を吸い上げられる。それはきっと僕にとって何者にも代えがたい快楽なのだろう。

安心しきった馬鹿顔も健在で、こんな脅しみたいな行為をされているなんて気付かずずっと眠り続けている。

寄せた顔を離して、主しかいない部屋は何事も無かったかのように静寂を保ち続けている。

 

 

 

あともう一回で前編・中編・後編で何とか・・・

とか思っていたのですがやはり無理っぽいような・・・