「ボス・・・」
ぎゅうっ、と手を握っても何にも反応がない。寝ているんだから起きないほうがいいのだが、いつもなら眼を覚ますであろう力でも起きないくらいに弱っていると思うと胸が痛い。
小さく、ボス、ボスと反芻する。時々吐息と混じって声が静かな部屋に漏れる。
荒い息遣いしか聞こえないこの部屋では、小さな声ですら残響する。
頬が赤くなっている。
まるで眼の色がそこに染み出したみたい。
額の汗をタオルで拭きとって、他にはどうする事も出来ない。
罪悪感が滞り無く押し寄せてハルの不安をどんどん膨張させていく。
まだ眠りから覚めていないであろうザンザスが咳き込みだした。はひっ!と悲鳴をあげるがザンザスは眼を覚まさない。
咳が止まり、またすやすやととは行かないが深く眠りに落ちていった。
それを見届けたハルが静かに部屋を出て、窓の外を見る。
ぽつぽつと雨が降っていた。
「ハルのせいです・・・」
机にうなだれるハルの肩をそっとルッスーリアが手を置いた。
「そんな事無いわよ、たかが冬に大雨に降られたからってボスは風邪を引くような人じゃないわ。」
「そうだぜぇ、ロシアで氷が張った水の中に落ちても風邪なんて引かなかったぜえ。」
「その後八つ当たりされてたね。」
「スクアーロ落とされて風邪引いてたな。」
そんなメンバーの声を聞こえているのかいないのか、ハルは重く溜息を机に向かって吐き出した。
いつも暴君だの言われているあのザンザスが、風邪を引いてベッドで苦しそうに寝ている姿を見ると痛々しい。
しかもそれが自分のせいだなんて。
未だ自室で寝ているザンザスを思い浮かべて心臓に刺さった鉛の感覚に気持ちを深淵に追い込んでいく。
「ハルってば・・・」
ルッスーリアの心配げな声を鼓膜に響かせ、腕に目元を押し当てているので真っ暗だ。
「・・・まあ、ハルも天気予報見ずに外に出たのも悪ぃーよなー」
ベルが漏らした本音にハルが明らかに反応した。
「だってあんな曇ってたのにさー」
「ちょっとベルちゃん!」
「・・・うう・・・」
ハルが唸り顔を上げると眼からだばだばと涙を流している。留まる事なく涙が排出されている様子を見て、ベルが笑顔を引きつらせる。
「ひでー顔」
「うわあああん!」
「う゛お゛ぉぉい!泣くな!ウゼェ!」
「わあああああん!」
「スクアーロ、更に酷くしてどうするんだい。」
「ああ、もうハルってば、そんなに泣いちゃ駄目よ?可愛い顔が台無しよ」
「不細工が更に不細工になるぜ」
「ベルちゃん!」
そういわれてハルは上げていた顔をまた腕に押し付けてしまった。ルッスーリアの溜息の音と共にベルへの咎めの言葉が飛び交う中、スクアーロがハルの頭を鷲掴みにして引っ張り上げようとしていた。
「いたたたたっ!」
「顔あげろぉ!」
「何か苛めてるみたいだね。」
「ドメスティックバイオレンスって感じ。」
「ん゛だとぉ!」
耳に意識を集中しているせいか、廊下から誰かが歩いてくる音がした。
そういえば、この部屋にいるのはルッスーリアとスクアーロとベルとマーモンだ。
だったらレヴィかもしれない。見舞いに行ってくると走って行ったので帰ってきたのだろう。
顔をあまりあわせづらいハルはレヴィに様子はどうだったか聞くために顔を上げた瞬間に、ドアも開いた。
「な!」
ふらり、と身体を僅かに傾いでいた。
「ボス!?」
「う゛お゛ぉぉい!テメェ何してんだぁ!」
壁に手をついて肩で息をしているザンザスは、その紅の眼を怒りで染め上げているように赤々としていた。
その眼の先にいるハルがビクッと肩を震わせて椅子から立ち上がって、つい後ろへ一歩二歩下がってしまった。
それが気に食わないのか、熱に侵されたザンザスがハルへゆらり、と、おぼつかない足でゆっくりと近づいていく。
その様子がまるでゾンビのようだと、涙がまたじわりと視界を滲ませる。
「はひ!」
「あらあ!?」
ゆらりと頭が下に向いていくと思ったら、そのまま机へ顔面が直撃した。
ドゴッ、と、いつもならばスクアーロから発せられる鈍重な音が、ザンザスの顔面によって奏でられた音に、部屋の全員が口を閉じ、部屋に重苦しい静寂が訪れる。
本当に僅かな雨音が聞こえるくらいに部屋は静けさに包まれ、そして恐怖が背中を押すように急かしていた。
逃げた方がいい。
全員がそうアイコンタクトもなしに一致団結して様子を伺っていたのだが、
「ボ・・・ボス・・・!」
廊下を這うようにして血を口から垂らしているレヴィにハルが驚きに瞠目している。
その瞬間にザンザスがハルの胸倉を掴んでそのまま顔と顔を近づけていった。
近づけていくというよりも、スクアーロに頭突きをするのと同じ速さだった。
「はへ・・・!!」
ごちんっ!
顎が上に向いて瞠目した眼がぐるり、と渦を巻いてそのまま閉じられた。
かくん、と頭が後ろに落ちたハルの胸倉を掴んだまま、ふらふらと歩き出した。
ハルの足がずるずると引きずられながら廊下へと出て行ってしまう。レヴィを踏みつけ、ハルの引きずった足がレヴィの頭と背中を引っかいてそのまま二つの気配は遠くへ消えた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・とりあえず、レヴィをどうにかしようか?」
「いや、変態は不死身だから別にいんじゃね?」
「・・・やだわ、私達ったらハルを見殺しにしちゃったんじゃないの?」
「・・・まあ、俺に被害が無かったのがせめてもの救いだなあ。」
腕組をして自分の言葉に頷いているスクアーロにベルが小さく馬鹿にしたように笑った。
「風邪を引いたボスはどうなるんだろう。」
マーモンがぽつり、ともらした言葉にベルが顎に指をあてて考える。
「暴力的になるのか、それとも犯すのかってこと?」
「極端だけど、まあそんな感じかな。」
ルッスーリアの言葉にマーモンが肯定しながらハルが座っていた椅子に飛び乗った。
「風邪を引くと人肌が恋しくなるって言うものねぇ。」
「へー、俺風邪引いたことねーから知らねーけど。」
「なんとかは風邪をひかないって日本の諺であったね。」
「あ゛ぁそうだなぁ。」
「そういうスクアーロはひいたことあるの?年中風邪気味みたいな声してるけど。」
「どういう意味だぁ!」
「どういう意味もそういう意味に決まってるじゃないの。」
あっけらかんとルッスーリアが小指を立てながらそう言うと、スクアーロは眉間の皺を数本増やした。
「で、あるの?」
「・・・ね゛えけどよぉ!!」
ヤケクソに叫ぶ。
「あ、やっぱりないんだ。」
ベルがごそごそと引き出し談話室の隅にある机の引き出しを漁りながらもらした声はスクアーロに届いた。
「う゛お゛ぉぉい!」
「なー、ババ抜きしよーぜ。」
トランプの箱を掲げながらスクアーロの怒声を聞かないふりをしてそう提案する。
「何で?」
「負けた奴は罰ゲームつきでさー。」
マーモンの声も華麗にスルーしたベルに、マーモンの口が更に尖った。
「罰ゲーム?・・・まあ、暇だから別にいいけど・・・」
「ババぬきいやならジジ抜きでもいーぜ。」
「その罰ゲームはもちろん賞金を賭けることだよね。」
ルッスーリアも参加する事になり、二人でするという最悪のパターンは無くなった。
年中風邪気味の声を爆発させる事も無く、いつものように突拍子もないベルの行動にただ諦めの溜息を吐き出した。
廊下でうつ伏せになり、血溜りに顔を埋めているレヴィを視界からシャットアウトするようにドアを無情に閉めた。
「この流れなら、スクアーロももちろん参加するわよね?」
ぼりぼりと頭を掻きながら、
「・・・何かいろいろと納得いかねえが・・・まあ、暇だしなぁ。」
ハルをラリアットするかのごとく一緒にベッドに倒れこみ、朦朧とする意識で、眼を回したハルをぼんやりと見つめる。
ザンザスは何も発さず、ただ無心にハルをずりずりと自分の元へと引き寄せた。
さきほどレヴィがやってきた時に眼を覚まし、反射的に殴り飛ばした後、近くにハルが居ない事に気がついた。
自室に戻ったのかと思い、ふらふらとハルの部屋まで歩いていったのだが、居なかった。
そして次に談話室へと向っていると、殴り飛ばしたレヴィが廊下を這いつくばって談話室に入ろうとしていたのでそのまま踏みつけ入ってみると居た。
機械的にハルを連れ戻して、満足したのか安心したのか、うつらうつらと瞼を下ろしていった。
それと同時にハルが眉根を寄せて、意識を戻してしまった。
「・・・はへ・・・」
ぱちぱちと瞬きをする音に、おろした瞼をゆっくりと上げて、不機嫌なのか感情が読めない赤い眼を露わにした。
「な、何で・・・えっと、此処は・・・あれ?」
「・・・・・・・」
「う・・・何だか頭痛いです・・・額がじんじんと・・・・」
「・・・・・・・」
額を押さえながら起き上がろうとするハルの腕を掴んだ。
「・・・ボス?」
ただじっと見つめられたままのハルは、ザンザスが一体どんな風に感じているのかまったく分からなかった。
行くな、といっているのだろうか。それとも何かとってこいといおうとしているのだろうか。
じわり、と滲んだ汗が見えてそれを袖でゆっくりと拭き取るとそのまま引き寄せられた。
「はひ!」
ずり、とシーツが皺を増やした。
そしてそのまますりすりと頬擦りをしだしたザンザスにハルの身体が石のように固まった。
頭の先からつま先まで。
決して嫌悪感からではなく、ありえない行動に驚いただけだ。
ザンザスはどちらかというとこういった幼稚な触れ合いはあまり好まない。
キスをするか抱きしめるか情事をするか。大きくこの三つをしたがる。野性的な愛情表現は過激であり冷たかった。
手を握る事もあまり好まないので、ハルはあえてそれを要求しない。
バードキスよりもディープキスを好む。
大人です。とハルは感じ、そして自分も大人になろうとねっとりとして、それでいて冷め切った大人の関係を目指そうと、ザンザスの背丈に合わせていたのだが。
「・・・・・・」
風邪を引くと、人肌が恋しくなるっていうのは精神的に弱っているから、すがりたくなるものなんだぞ。
いつだったか、ツナが風邪を引いたときに家にお邪魔した時にリボーンが言っていた言葉だった。
その後にだからアイツにキスの一つでも二つでもしてやってくれと言っていたが、その後で顔を熱のせいかどうか分からないが顔を真っ赤にしたツナが大声で何か言っていたような言っていなかったような。
威丈高で暴君なザンザス様も、風邪には勝てないという事なのだろうか。
熱い吐息を吐きながら、すがりつくように抱きしめる腕に暫くして身体からゆっくりと力を抜いていく。
その気配を感じ取ったザンザスが潤んだ瞳で鼻を噛んだ。
噛んだ、噛んだ、噛んだ、噛んだ、噛んだ。
「いたい、ですよ・・・」
ぎゅむぎゅむと歯で圧迫される鼻に歯型がついてしまった。
それを労わるようにちゅ、とリップ音を響かせて吸い付いた。
いつもは荒々しい愛欲溢れるキスばかりで、こんな壊れ物に触れるようなキスは初めてかもしれない。
ハルの背中に鳥肌が広がっていった。
「は・・・わっ!」
ハルが呆けている間にべろっ、と頬を舐め上げられ、まるで犬のようにずっと舐め続けた。
くすぐったいのと恥ずかしさが入り混じったハルが背を反らせながらそれを回避しようとする。
それが気に入らなかったのか唇にも噛みついた。それも思い切り。
「っ、」
上唇に歯が食い込み、ぎち、と皮の破れる音がハルの耳に届いた。
口の中に僅かに鉄の味がして、ザンザスが舌で舐めるとちりっとした痛みが走った。
「ボス、」
その次に何を言おうとしていたのかハルは考えていなかった。とにかく待って、とか、やめてとかそういったものだろう事は分かっていた。
だが言葉で表すと直接的なものだったらいけないし、かといってオブラートにつつんでもこの男は無視するんだろう。
だったら普通にやめてください。といってしまえばいいのかもしれない。
口を開いた瞬間に押し付けられる唇にただでさえ曖昧な言葉は封じ込まれてしまった。
ねっとりと絡みつく熱い唇と捻りこまれた舌。
「んむ゛む゛む゛むむ゛むむむ゛むむ!」
そのまま舌をちゅうー。とずっと吸い続けられ、ハルから舌を引っこ抜こうとしているんじゃないかとキス中なのにも関わらず、ハルは瞠目したままザンザスの胸板をたたき続けた。
病人にこんな事をするのも気が引けたが、酸欠状態に陥って気絶しそうになっているのだから仕方が無い。
ザンザスが唇を離すと、ごほっ、と咽たハルが自分の口を手で押さえた。
他人の欠伸がうつるように、まるで思い出したかのようにザンザスも咳き込み出し、二人で咽こんでいた。
咳き込みながらハルに抱きつき、そのまま咳の終了と共に眠りに落ちたザンザス。
熱のせいで、きっと頭がおかしくなったんでしょう。
などと、失礼な事を考えて、ハルは布団を引き寄せてザンザスの身体にかけた。
「ほら、スクアーロ行くのよ!」
「う゛ぉ・・・」
「何弱気になってんだよ、負けたんだからしょーがねーじゃん。」
「スクアーロ、その写真撮ってきた適当に高額で買い取ってあげる。」
「おいぃ!」
「だから死んでもネガだけは死守してね。」
「マーモンいまどきネガとか言ってんの?古ぃー」
「・・・喧嘩売ってるの?」
「うーん、半分冗談半分本気。」
「・・・テメェら、俺の事どうでもいいんだなぁ。」
「あったりまえじゃん。」
「う゛お゛ぉぉい!」
「そんな大声だしたら気付かれんだろー・・・ほら、ボスの写真一枚撮ってくるだけでいんだからさっさと行けっての。」
「私はボスのヌードの写真が欲しいわぁー」
「ボスの弱点がわかるよーな写真がいーな俺。」
「僕は高く売れるような写真がいい。」
「一枚だけだろーがぁ。しかも全部無理だろぉ!!」
「あー、だから大声は駄目だっつって・・・・」
「・・・・・・」
「あー・・・ら・・・」
「あ゛ぁ?何だベル、ルッスーリア。後ろにさがりやがって・・・・う゛お゛ぉぉい!マーモン消えてんじゃねぇぞぉ!」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「って、おい!何で逃げんだぁ!・・・ったく、なんなんだアイツ等は・・・あー、クソッ!負けちまったから仕方ねぇ。写真撮ってアイツ等ギャフンと言わせてやらぁ。」
そして腹を括って振り返ると、開けっ放しのドアからこっちに銃口を向けているザンザスが見えた。
うーん・・・・
ザンハルは楽しい。でも全体的にやーっぱりよろしくない気がするなぁ。
とりあえずキスさせられて満足だ。それ以上でもよかったけど・・・うん、此処は聖なるフリーリクエストの場所だからね。そういうのは控えておこう・・・
リクエストありがとうございましたー!!
title 泣殻