ふわり、と冷たい風からただよう香水の匂い。男用のその匂いは僅かに眠っていた思いを呼び起こすには簡単だった。

決して大きくは無いその意思は、確かにそこに存在して、若い自分が多いに悩んだものだった。

 

 

 

「ハル男になりたかったんです。」

ぽつり、とアルコールのせいか、ぽろりと漏れた誰にも言っていない秘密の言葉。

からん、と氷の音がして、静かな夜空の下。アルコールの匂いをさせている自分をじろりと睨んでいるであろう瞳が見えた。

「そうか。」

結構。本気で、とっても頑張って言うような事実なのに。

本音を零した事に、誰よりも驚いているのはやはり自分。心の奥底に無理矢理沈めて早5年。決して触れてはいけない秘密の宝箱にしてしまおうと思っていたのに。

こんな風に、夜にお酒を飲んでいて、僅かに男の人の香水の匂いがしただけでこんな簡単に開けられてしまうなんて。

「とっても、稚拙な理由ですけれど。」

「お前なんて全部稚拙だろうが。」

「強くなりたくて。」

精神的にも、肉体的にも。

ふっ、と瞼を下ろして、真っ暗な世界に意識を沈めようとする。もっともっと、強くなりたい。駆け巡る思いは昔から微動だにしていなくて。久しぶりに見せたその思いは自分で思っていたよりもとても綺麗で真っ直ぐで。

あまりにも無謀なものだと思い知った。

はんっ、と鼻で笑ったボスは正解だと思う。

「馬鹿だな。」

「馬鹿ですよう」

「テメーが男なら俺が一番嫌いタイプだ。」

「女でも嫌いなくせに。」

「まあな。」

輝く夜空に散らばる星を見ていると、あれくらいの奇跡や希望があるんだよ。と昔何かの絵本に書いてあったと思い出す。その中の一つに、三浦ハルが男になえっる奇跡があったのかもしれない。

もしかしたら、今でもあるかもしれない。

「男になったら、強くなれます。肉体も精神も。女の女々しさなんてどこかに捨てられますし、それに女遊びだって出来る。女の人はとってもセンチメンタルで男の人に幻想を求めてしまう生き物なんです。一番じゃなきゃ、我慢できない。」

「それは男も女も一緒だろーが。」

「男の人は本能で女の人を抱いていますが、女の人はそんな単純なものじゃないんですよ。心の奥底に沈んだトラウマか、それとも愛の枯渇か・・・それとももっと違う理由かもしれませんけど。」

「金だな」

「ロマンの無い人です!」

一々釘をさすこの男にだけはなりたくない。この乙女心を理解したまま男になれば、この三浦ハルは世界中の女の人を手の上で転がせるのではないのか。

「そんな面倒臭い生き物は、もう、ごめんなんです。」

両手をひらひらと上げる。コップが滑って落ちそうになりそうになったのですぐに腕を下ろして持ち直した。

はぁ、と吐き出す息は白くてアルコールの匂いを孕んでいた。あまりにも簡単に白く凍えていく自分の溜息。霧散してくれればいい。蒸発すればいい。跡形も無く、形が無くなっていく様子を見たくないから。

「ごめんじゃねーだろ。」

がたん、と椅子から立ち上がった。

「ただ逃げてるだけだろうが。お前は。」

凍てつく夜のように、その言葉は冷たかった。凛とした張り詰めた空気の中を一直線にハルに向ってきた。

「男になれば、その苦しさから逃れるとでも思ってんのか?」

「逃げるって・・・」

「逃げてるだろうが。他に何がある。」

そう。

今も逃げている。

迫り来る赤い双眸から。

後ろに後ずさり、持っていたグラスを落とさないように近くの机の上に置いて片方の腕を自由にする。

静かな部屋で、静かに迫る男の影は恐怖しか与えない。

膝の裏に当たった感触はこの部屋のベッドで、迫ってくる影はハルの両手首を掴んで押し倒した。

背中に柔らかい衝撃と、圧し掛かる圧倒的力。

衝撃にぎゅっと眼を閉じたハルが、おそるおそる眼を開けて見つめる先は暗闇の中で貪欲に光る赤い眼。

ぞくっ、と背中に冷たいものが迸った。

「たとえば、」

たとえば、なんて、世迷言は嫌いなはず。事実が全て。推奨するのは現実。

幻影なんて、幻覚なんて、幻聴なんて。と全て貶すというのに。

楽しげに口元を歪めて、けれどその低い声は怒りを孕んでいた。

「お前が男だったとしよう。」

「っ・・・・」

「今は、お前は恐怖を抱いている。それは女としての本能だ。男に蹂躙されるという危機感を覚えている。」

なぁ、と顎を掴み、ゆっくりと指先で愛でる。下唇を浅く噛みしめ、赤い眼から視線を外さない。

「だが、もし男だとしてもお前は恐怖を覚える。なぜなら殺されるという恐怖が必ず芽生える。俺はお前を殺す気だからな。」

「っ、あ・・・・」

ぎりっ、と顎を掴む指が強まり、鈍い痛みが走る。

思わず声を漏らした唇に親指で下唇を撫で上げる。ぞぞぞっ、と、恐怖とは違う、熱い悪寒がした。

「ひ・・・」

「どちらにしろ、お前は俺に恐怖する。どちらにしろ、お前は沢田綱吉から逃れる事は、出来ない。アイツは男になったお前にとって、恐怖の対象としかならないだろうからな。」

きっと、恐怖する。

あの強靭な力を秘めたちんけな小僧に。制御不可能のリミテッドを越えた時。アイツはお前を殺すだろう。

呪文のように、小さく囁かれた言葉。嫌だ。こんな、敗北感を味わったまま終わるのは。

また触られている部分から、震える声を漏らす。

「・・・もしも、」

「あぁ?」

「もしも、貴方が、女だったのなら。」

紡がれた言葉は、戸惑いを露わさせれるものだった。眉をぴくりと動かし。見下ろす視線が恐ろしく、呆れの混じったものとなった。

自分が何を言っているのかわかってないのかと、思っていそうなその瞳に、真摯な眼差しで、言う。

「もしも、ボスが、女の人だったら。ハルはきっと・・・頭を垂れて、スクアーロさんと同じ道を選んだでしょう。」

「・・・・・」

「ハルが、もしも男だったら、ツナさんに頭を垂れるでしょう。」

「・・・・・」

「・・・ハルが、このままで、ボスが女の人ならば、同じです・・・ハルは、同性に、憧れを抱く人間なのです・・・」

その言葉で連想するのは、愛が全てだと謳う綺麗な長い髪をしたあの人。一途なその姿はあまりにも神々しく美しい。女として、人間として尊敬できるあの人。

頭を垂れることだって、跪くことだって可能。

「だからハルは男になりたいんです!ハルは、ツナさんに、憧れとして、この気持ちを清算させたくて・・・・」

身勝手なもの。

この恋心の痛みを知りたくない。覚えていたくない。それだけだった。

逃げているという言葉はあまりにも的確じゃないか、と、言葉を止めた。絶望的な敗北感が胸の中を覆い隠してしまった。

静かな空気に透過したいと思ってしまう。このまま存在が無くなればいいと思う。

感情が消えて、この気持ちも消えて、この敗北感を味わった事もなんてことないように思ってしまいたい。

それが出来ればいいのに。

三浦ハルが死んでしまえばいいのに。

「アホか。」

ぐいっ、と顎を掴まれて顔が迫ってきた。一体何が起きているのか理解するのに時間がかかったが、案外早く状況判断がついた。

額にじんじんと痛みが迸り、現実に全て引き戻された感覚。

「いっ・・・たいです!」

「女だろうが男だろうが。お前は俺に頭下げてろカス。」

「はひ!」

言葉の通り頭を掴みベッドに押し付けられた。頬にこすり付けられるベッドから匂いがふわり、と香ってきて何だかいけない気分になってきそう。

何だか、これは凄くいけないような気がします。

「ボス、あの・・・えっと、愚痴言ってすみませんでした・・・」

「ああ、許さねぇ。」

声の抑揚とまったく違うその言葉に、怒りの雰囲気がわずかに変わってきた事に冷や汗が出てきた。

もし、もし男ならば。こんな状況には決してならなかったでしょうに。

と、思うのです。

 

 

 

とりあえずわけわかりませんけど、ただハルに男になりたいといわせたかっただけですww

 

リクエストありがとうございましたーww